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皆川博子のすすめ

皆川博子幻想小説界の女王だ。

御年89歳にしていまだ精力的に作品を発表し続ける様子はとても嬉しい反面、いずれ新作を読める日が来なくなるんだなあ・・・とつい考えて悲しくなってしまうのをやめられない。人はいずれ死ぬ・・・推しが生きている喜び・・・。

 

幻想的、かつ緻密な時代設定にのっとったミステリという作風で、幻想小説ファンで知らない方はいないと思う。

しかしこの作家、作品数が多いうえに一作一作がボリューム満点なのでどこから手をつけたらいいのかわからないという方も多いと思う。そんな方のために、まずはこれ!というオススメを5選紹介します。

 

 

1.『蝶』(短篇集/2005年)

 

蝶 (文春文庫)

蝶 (文春文庫)

 

 

インパール戦線から帰還し、虚無を抱えながら北の果てで孤独に生活する男。

戦争で両親を失い、疎まれながら海辺の村で養われる少女。

“私”が疎開先の漁村で出会った少年。

防空壕で密やかなエロスを共有する、奉公先の奥様と“私”。

甘美な死の匂い漂う、人物の狂気と幻想の短篇集。

 

 

 絨毯の模様が浮きだしたかのように、叔父の躰のまわり、叔母の膝のまわりに、紫陽花がばらまかれていた。叔母は右手の鋏で小さい四弁花を切っては、膝の上に仰向いた叔父の眼窩に挿していた。青紫の小花が、叔父の左眼のあるべきところに盛り上がっていた。

綾子叔母はコロラチュラソプラノで歌っていた。「妙に清らの、ああ、わが児よ」

無造作に投げ出されて動かない叔父の足が、青黒かった。

(『妙に清らの』より) 

 

皆川博子は短編もたくさん書いているのですが、多くは雑誌への寄稿のため、単行本としてまとめられはじめたのはわりと最近のことです(最近も続々とまとめられています)。その中でも『蝶』は、いわば「戦争」の短篇集です。全八篇、どれをとっても戦争に端を発する濃厚な“死”のストーリーです。

戦争によって強制的に作り変えられ、歪んだ日常。それはやがて狂気や死という形をとって、様々な終焉を生み出します。目を背けたくなるような残酷で醜悪な現実と、それを受け入れざるを得ない彼らの間の狂おしいせめぎ合い。読んでいて息苦しくなりますが、慣れてくるとやがてその窒息感から彼岸的な官能を感じてしまうようになるはず。

 

『蝶』は、現代文学の砂漠の沖に光輝まれなる孤帆として、美の水脈を一筋曳いてきた皆川博子文学の一頂点といえる短篇集である。

(解説より)

 

 

 

2.倒立する塔の殺人(2007年)

 

倒立する塔の殺人 (PHP文芸文庫)

倒立する塔の殺人 (PHP文芸文庫)

 

  

太平洋戦争終戦直後、空襲で焼けた東京のミッションスクールのチャペルで、一人の女生徒が変死を遂げる。その生徒の死には「倒立する塔の殺人」と題され、女生徒たちの間で回し書きされた小説が絡んでいるらしい。死んだ女生徒に憧れていた三輪小枝は、同級生たちと共に未完の小説の続きを模索する・・・。

 

 聖戦に出陣する学徒の壮行会は、明治神宮外苑の広大な競技場で行われた。大学生は徴兵猶予の特典があったのだけれど、文科にかぎり廃止され、収集されることになったのだ。(略)

わたしは、慧司に恋しているような気持になった。慧司ばかりではない、この、黒く濡れて死と生がひとつに融けあった出陣学徒たちのすべてに、恋していたのかもしれなかった。

異性に恋したのではなく、彼らの悲愴感に、恋したのだ。

 

本書はヤングアダルト向けの叢書の一冊として刊行されました。そのため、皆川博子特有の耽美で退廃的な雰囲気はそのままに、比較的読みやすい作品となっています。

戦時下、空襲に脅かされながら女子挺身隊として過酷な労働を強いられる日々。その中で交わされる少女たちの交流は生々しく、当時を生きた作者自身の記憶もあるのでしょうか。

そして本作は特に古典小説・名画・音楽や詩歌などへの言及が多く、ミッションスクールのお嬢様らしい教養の深さに裏打ちされた、アカデミックな会話が楽しめます。また「S(エス)」と呼ばれる、女学生同士の恋愛とも友情ともつかぬ相手への執着心が怪しいエロスを醸し、ミステリに独特の色を添えています。

ミステリとしても最後のどんでん返しは極上。必ず読み返したくなるはず。

 

 

3.死の泉(1997年)

 

死の泉 (ハヤカワ文庫JA)

死の泉 (ハヤカワ文庫JA)

 

  

舞台は第二次世界大戦下のドイツ。

マルガレーテは私生児を身籠り、ナチの産院「レーベンスボルン(生命の泉)」に身を置く。やがて不老不死を研究し芸術を偏愛する医師クラウスの求婚を承諾するが、激化する戦火のなか、次第にクラウスの言動は狂気を帯びてゆく・・・。

 

 去勢歌手について、クラウスは熱をこめてギュンターに講釈した。(略)

「まさか、そんな非人道的な方法で、ミヒャエルの声を保たせるつもりではありませんよね」

「きみこそ、まさか、ヒューマニズムこそ絶対の正義だなどと口にするつもりではあるまいね。人道主義は、戦線にあっては敗北につながるものだった。戦時の正義は、戦後は悪とされた。しかし、美はいかなる時にあっても、絶対だ。天賦の美は、最大限、最高に生かされるべきなのだ」

 

 これぞまさにゴシック・ホラー!!古城、地下室、芸術、人体実験、カストラート、全編に漂う血と埃の臭い・・・。

ナチス・ドイツ時代の歴史背景が緻密に描写されており、当時の人体実験、人種差別や優生学の認識がいかに残酷な現実を生み出したかをまざまざと見せつけられます。しかし、その「力強いもの」「美しいもの」に対する偏執的な追及がもたらすのは崩壊だけでなく、カストラート変声期以前に去勢される男性歌手)などに代表される人工的で繊細な美です。それらは異常ながらも、異常だからこそ怪しく妖艶な魅力を放ちます。

本書はあるドイツ人作家によって書かれた小説の翻訳・・・という形で書かれた小説内小説というつくり。その入れ子構造を駆使したラストシーンは、最後の一文で衝撃が走ること間違いなしです。

 

 

4.薔薇忌(短篇集/1990年)

 

薔薇忌 (実業之日本社文庫)

薔薇忌 (実業之日本社文庫)

 

 

 美しい腐敗を求め、薔薇の花びらに埋もれて死ぬことを夢見た劇団員の自死

濃密な淫夢に日常を侵される歌舞伎小道具屋の娘。

美しきスター歌手の再起に執念を燃やす芸能プロデューサーと、その哀しき結末。

亡くなった母の箪笥から発見した焼け焦げた飾り櫛と、その桔梗模様に隠された秘密。

芸能に憑りつかれた人々の、妖美で数奇な人生を集めた短篇集。

 

「死刑の一つに、薔薇の葩(はなびら)で窒息させるのがあるって、聞いたことない?」

「薔薇の葩でどうやって窒息させるんですか」

「身動きできないようにして狭い部屋にいれて、天井から薔薇の葩を降らして、葩に埋めて息ができないようにするんだって」(略)

「降り積もらせるうちに、下のほうの、顔に密着した葩は、腐敗して、とろけて、腐汁になると木谷は言ったのよ」

「腐爛の薔薇に包まれて死ぬ光景を、木谷、語ったの」

(表題作『薔薇忌』より)

 

 

『蝶』が戦争の短篇集なら、本作は芸能の短篇集です。

舞台は現代。登場人物は何かしらの舞台芸能に憑りつかれており、「演者の彼岸」と「観客の此岸」は彼らの中で複雑にもつれ合い一体化します。演じるという行為はひとつの虚構を創造する行為ですが、自ら作りだしたものに飲み込まれ現実との境目を喪失してゆく者たちの姿は、どこか哀れで陶酔的です。全編を通して濃密な情念が漂い、むせかえるほどの死の匂いとそれに惹かれる生者の懊悩が狂おしい。

歌舞伎、能、アイドル歌手や舞台俳優など、何かを演じるということに纏わりつく怪しい魅力を感じられる短篇集です。

 

 

5.開かせていただき光栄です(2011年)

  

  

舞台は18世紀ロンドン。解剖学は発展途上で、先端科学であると同時に偏見にも晒された時代。

そんな時代に、私的な解剖教室を開いているダニエル(変人)と、その個性豊かな弟子たち(わりと変人)。彼らが遺骸紛失の事件に巻き込まれる。捜査協力を要請され事件を追うが、そのうちに背後に隠された数奇な事実が発見されてゆく。

 

 めったに手に入らん妊娠六ヶ月……と言いかけたバートンの言葉は、あやややと、わけのわからない音になった。包みがほどけ、剥き出しになった屍骸は、十代半ばの少年であった。服は被せてあるのだが、裸体だ。そうして、両手は肘で両脚は膝の下で切断され、その先はなかった。滲んだ血は乾いて布地をこわばらせていた。

長い沈黙が続いた。

それを破ったのはバートンで、「どうも、包みが小さいと思った」そう言いかけた言葉に、またも、わあわあと喚く弟子たちの声が被さった。バートンの発言は、本来ならエレインの遺骸が包まれていたはずだということを意味する。(略)

貴重な〈妊娠六ヶ月〉が、四肢を絶たれた少年に変化してしまった。

 

 

憂いや哀しみなど、どろりとした情念を帯びた文体・ストーリーが得意な皆川博子ですが、この作品はどちらかというとポップで軽快な印象。

解剖教室の先生と生徒たちが主人公ですが、解剖に関するグロテスクな描写はあまりありません。あくまで科学的な『モノ』としての人間の肉体の描写があるのみです。人間の感情や意識から生じるグロテスクを描くものが多い皆川博子の作品の中で、本作は逆にサッパリしている方かもしれません。読み心地は、小説のはじめに[登場人物一覧]が出ているような海外の探偵小説を読んでいるよう。実際に「本格ミステリ大賞」と「日本ミステリー文学大賞」を受賞しています。

皆川博子作品の中でも珍しく、シリーズものになっており、続編(『アルモニカ・ディアボリカ』)が出ている人気の一作です。

 

 

おわりに

 

皆川博子の作品は、読む者によって好き嫌いがわかれると思います。

残酷、陰惨、奇怪、醜悪、不気味、グロテスク、異常、狂気・・・。作中で起こるひとつひとつの出来事は、そういった印象かもしれません。でもそれらは不思議と、裏側に「美」という輝きを隠し持っている。美醜なんて表裏一体で、その境目ははっきりしないものかもしれない。そう感じさせる作品たちです。

今回ご紹介した作品を読んで「あ、好きかも?」と思われた方は、ぜひ皆川博子ワールドに飛び込んでみてください。めくるめく耽美に溺れましょう!!