gomibako

思想・感情・オタク

切なさ/エモさ

夏の19時頃、まだギリギリ明るい時間に外を歩いてるとき、知らない人んちのお風呂場の窓から漂う石鹸の香りに切なくなる現象ってまだ名前ついてないんですか?完全にジブリ細田守の世界観なんですよね・・・メリットの匂いだと完璧です。

 

「切なさ」という感情に異常な興味と執着を示す私ですが、また微妙に違う「エモさ」っていう表現にも魅力を感じています。ただの若者言葉な言い換えじゃないんですよね・・・。

「切なさ」がじっくり噛みしめ系の、ナイフみたいな鋭い感情だとしたら、「エモさ」はもうちょっとライトな、噛みしめるというより抱きしめる系の…バットで殴るみたいな感情ですね。(?)エモさは切なさよりもカラッとしていて、比較的湿っぽさがない。感情の濃度が薄まって、エンタメとして美味しく頂けるラインが「エモさ」なのかもしれない。「切なさ」には苦しさが沢山含まれてて、つらくなっちゃうときありますから。だから私の中では、2つの大きな違いは感情の濃度ですね。

夏の夕暮れの石鹸の匂いは、幼い頃の郷愁、2度と手に入らない不可逆な過去に対し想起することしかできないもどかしさの感情です。私の場合それに付随する具体的なエピソードがないので、「切ない」というよりは「エモい」止まりですかね。何か切実に昔に戻りたい、やり直したいと思っている人にとっては苦しいほどの「切なさ」になるのかもしれません。ていうかそもそも夏ってだけでなんか心がうずくのに・・・夏のこの特別なエモさ、なんなんですかね?またまとめてブログ書きたい。

 

「切なさ」って汎用性高すぎて定義するの難しいですよね。濃度で区分するくらいじゃ全く足りない。辞書の定義だと「寂しさ・悲しさ・恋しさなどで胸がしめつけられるような気持ち」らしいですけど、嬉しさ寄りの切なさとか悲しさ寄りの切なさとかあるんでしょうかね?濃度が縦軸なら、悲喜が横軸で表現できるかもしれない・・・。恋の切なさなんてもう忘れ去りましたけど、でもこの定義だと「つらさを甘受する気持ち」っていう感じですよね。だって、本当に極度の耐えきれないような切なさは、最終的に悲しみや怒りに自然と変換されてしまう感じがしませんか?切なさはなんていうか、「苦しさからセンチメンタルなもの以外を捨象した感情」なんですよね。つらさを甘受するセンチメンタリズムって、非常にナルシスティックなにおいがしますね・・・。

あらゆる芸術作品から受ける感動って、このナルシスティックな切なさですよね。容赦なく感情を揺さぶる圧倒的なものに対する、悲しみや怒りに変換し切ることのできない曖昧な感情、圧倒的なものに対する憤り、そしてその圧倒的なものに屈服する悦びというか・・・。自ら引き受ける切なさは、自傷行為に近い。

でも切なさを研究するには恋しなきゃわからないことっていっぱいあるんだろうな〜。恋は意図的にできるもんじゃないから受動的な切なさになるんだろうな、だからめっちゃ苦しくて逃れたい気持ちになるんだろうな。あと宗教的な(ヘーゲルが云うとこの『不幸の意識』みたいな)切なさっていうのもありますよね。これは私には一生感じることのできない感情だとは思いますけど、本読んでるとちょいちょいキリスト教関係で理解不能な感情あって、これも「切なさ」なんだろうなと感じる。自分には感じることのできない感情があると知るのってなんだか悔しいな~。