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思想・感情・オタク

防弾少年団(BTS)は、なぜ狂おしいほどに切ないのか?

ロマン的な”少年性”という概念に狂おしいほどの切なさを感じる方にとって、このアイドルグループは凶器です。

 

漫画で言うなら、少年漫画における高校部活モノ。「スラムダンク」が象徴的。

 

「オヤジの栄光時代はいつだよ… 全日本の時か?

 オレは………オレは今なんだよ!」(『スラムダンク』 第31巻)

 

もしくは「トーマの心臓」「風と木の詩」「BANANA FISH」「MAMA」とか、ちょっと耽美な世界観の少女漫画。

小説で言うなら「草の花」「燃ゆる頬」「ドリアン・グレイの肖像」「罪と罰」「車輪の下」「寄宿生テルレスの混乱」とか、長野まゆみ(特に初期作品)「ぼくはこうして大人になる」「鳩の」とか。

少年から青年に移りゆく一瞬間、生命が鮮烈に燃え上がるような輝きの中で、彼らの感情が激しく揺れ動く様子を表現した作品・・・私は昔から、こういうタイプの作品にすごく弱いです。

 

防弾少年団(BTS)は、2018年5月現在、20~25歳のメンバーで構成されています(デビュー時の年齢は15~20歳)。

彼らのグループ名には「10代・20代に向けられる社会的偏見や抑圧を防ぎ、自分たちの音楽を守り抜く」という意味が込められているのですが、そのコンセプト通り、初期の彼らの曲は基本的に等身大です。スクールライフがテーマの初期のMVを見るとわかりやすく、のびのびと”俺ら怖いもん無しだぜ”ってイキッててほほえましい。10代の反抗心を全面に押しだしたらしいイカツい格好がまた、テンプレすぎて可愛らしい。

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しかし、上記のようなコンセプトの学校三部作に続く、青春三部作「花様年華(화양연화)シリーズ」から風向きが変わってくる・・・。

青春をもっともよく表す言葉として『人生で最も美しい瞬間』を意味する『花様年華』という言葉が選ばれた。このアルバムは少年が学校を卒業し、青年へと成長する過程の苦悩や葛藤を描き、青春の美しさとその本質に潜む危うさに焦点をあてた。(wikipedia

ここらへんから、形而下の存在である”ありのままの高校生”コンセプトを離れ、より”Idol(偶像)”らしい形而上の概念を纏い始めました。

青春の刹那性は、全く不可逆で代替不可能であるがゆえに、汎用的な価値基準を物差しに評価されることから逃れます。何者にも否定できない、絶対的な聖域から下賜される最高に優しいメロディはここに完成した!!!!!!!!!!!!!!

 

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Euphoriaの歌詞、すごいですよね・・・。

(以下、

https://ameblo.jp/merody-0126-2/theme-10073569697.htmlより引用

させていただきました)

Euphoria
Take my hands now
You are the cause of my euphoria
Close the door now
When I'm with you I'm in utopia
Won't you please stay in dreams


저기 멀리서 바다가 들려(遥か彼方で海が聞こえる)
꿈을 건너서 수풀 너머로(夢を渡った森の向こう)
선명 해지는 그곳으로 가(鮮明になる その場所へ向かおう)

모래 바닥이 갈라진 대도(砂の地面が割れたとしても)
그 누가 이 세곌 흔들어도(誰かがこの世界を揺さぶったとしても)
잡은 손 절대 놓지 말아줘(握った手は決して離さないでくれ)
제발 꿈에서 깨어나지 마(どうかこの夢から覚まさないでくれ)
너는 내 삶에 다시 뜬 햇빛(君は僕の人生に再び昇った日の光)
어린 시절 내 꿈들의 재림(幼き頃の夢の再臨)

혹시 여기도 꿈속 인건지(もしかしたらここも夢の中なんだろうか)
꿈은 사막의 푸른 신기루(夢は砂漠の青い蜃気楼)
내 안 깊은 곳의 a priori(僕の中 奥深くの a priori)

숨이 막힐 듯이 행복해져(息が詰まるほどの幸せを感じる)

주변이 점점 더 투명해져(辺りがだんだんと透明になっていく)
저기 멀리서 바다가 들려(遥か彼方で海が聞こえる)
꿈을 건너서 수풀 너머로(夢を渡った森の向こう)
선명 해지는 그곳으로 가(鮮明になる その場所へ向かおう)

 

初めて聴いたとき、ぽろっと涙がこぼれました。

特に英語の歌詞の部分、本当に胸が締め付けられます。

心の底から大好きな人とずっと一緒で、一緒に眠ったり、一緒にご飯食べたり、笑い合ったり・・・そういう心地よさから「生身」の部分を抜き取って昇華したような美しさ。だって、「幼き頃の夢の再臨」ですよ?母胎回帰願望をオブラートに包んだ世界観って鉄板ですよね・・・。理想化された恋愛は、もはやただの胎内回帰願望なのかもしれない・・・。

見事なまでに、優しさと抒情的な美しさ以外の不要な概念が削ぎ落とされた世界。年月の垢にまみれる前の、純粋で透明な少年性。 

メンバー7人で子犬のようにじゃれあうMVを見てると、彼らの「アイドル」として生きている世界には彼ら(主人公)とARMY(母親)しかいなくて、いずれ産まれなくてはならない(=大人にならなくてはならない)切なさが剥き出し。ずっと私の胎内に抱いてたい・・・。

 

青春のその一瞬がどのようなストーリーに彩られようとも、それが唯一無二である限りにおいて圧倒的に肯定されます。

メンバーも全員成人して、2017年7月に「現実に安住することなく、夢に向かって絶えず成長していく青春(Beyond The Scene)」というコンセプトが付け加えられたんですけど、なんか最近、初期より全然儚げで硝子の少年って感じになってきてるんですよね・・・。初期の彼らは、現実で現実と戦い乗り越えて行くリアリスト・実存主義者的な描写をされているんですけど、だんだんとロマンチスト・本質主義的な様相を呈してきているんですよね。そもそも「青春」自体、現実と理想が激しくぶつかり合う戦いの場なわけですから、その両方やってくれてるんだなあと思います。

 

「青春=花盛り」を、まず「花はいつか散る」という陰のイメージで覆い尽くしたあと、その中の輝かしい陽のイメージを覗き込むような鑑賞の仕方をしてるから、輝けば輝くほど悲しく切なくなっちゃうんですよね。

あらかじめ死が用意された人生のように、あらかじめ終焉が用意された青春。(もしくは、将来結婚をすることもあるだろう彼らの、”誰のものでもない今”!!!!)

 

探り当ててキモチイイ「真理」って、大体「科学」「宗教」「芸術」に基づいてると思うんですけど、ハイデッガーが「芸術は真理を作品のうちへと打ち立てることである」と言ってます。(この『真理』は、本来『存在者』についての真理なのですがここでは放っておきます・・・)

防弾少年団は、私にとっての「青春」という真理を内包する素晴らしいグループです。発見できてキモチイイ。出会えてよかった。

 

 

それにしても、儚いものはなぜ切ないんだろう?いや、切ないものは儚いって決まってるんです。人間はそう感じる仕組みになってるんです。ってトートロジーだけど、一応それで納得することもできます。けど映画観たり小説読んだり音楽聴いたりして、新しい作品に出合うたびに新しい「切なさ」に襲われて、そのたびに、この感情はまだ言語化されてない!って思うんですよね。だって、毎回違う媒体による刺激なんだから(生理学的な脳への刺激ではなく感性への刺激ということにしてください)「切なさ」も絶対違うものじゃないですか。だから毎回、その胸の苦しさをなんとか言葉で説明しようとするんですけど、毎回スッキリしないまま終わります。そもそも「切なさ」って言葉が便利すぎますよね?その言葉の中に、もっと幾つもの言語化することができる感情が含まれてるに違いありません。多分死ぬまで、ずっとこの「切なさ」からは逃れられないんだと思います。幸せな呪いですね。

現在進行形のコンテンツを享受する愉しさ

流行を追って最新の娯楽を楽しむ人は、きっと日常生活が忙しい人なんだろうと思います。哀しいけれど私は暇人なので、ほとんど流行を追うことがありません。自分が興味あるものを自分自身でリサーチする時間が、たっぷりあるので。現在進行形の共時的カルチャーグループから外れて、家で一人、堆積した過去から化石を掘り出す作業に没頭しています。掘っても掘ってもダイヤモンドがざくざく採掘されるから、全く飽きることがないので困ります。

でも、たまに「これと同じ世代に生まれて良かった〜」って思えるような流行に出合えると、ホントに嬉しいですよね・・・。解散してないバンド、存命の作家を好きになるって、なんて奇跡的で素晴らしいことだろう・・・。

音楽的には私はずーっとひねくれていたので、20代も半ばを過ぎてからメインカルチャーの楽しさに気付き始めました。宇多田ヒカルとかGLAYとかB’zとか、20歳こえてから初めて聴いた。それなのに今、私が中学生の頃にGreen DayNirvanaWeezerでブッ飛ばしてた鬱憤を、高校生の頃にMars VoltaやPixiesNumber Girlで逃避してた現実を、この歳になって取り戻すかのように防弾少年団氣志團を聴いているのが笑えます。アイドルとかコミックバンドなんて、思春期のとき最も毛嫌いしていたもののひとつなのに。大人になったなぁ・・・。

私の青春はいつだってしょっぱい薄曇りだったので、多分一生死ぬまで青春懐古厨ですけど、やっぱり尾崎豊が胸の底まで一番沁みます。

文語/口語の距離感

現実から一定の距離を隔てて存在してくれる小説が好きだ。
新しい作家を開拓しているとたまに、あまりにも口語的すぎる文体の作家に出会う。これが読んでいて非常に興醒めする。 現実に対する馴れ馴れしいほどの接近。

文語は日常で使うには耳慣れず違和感があるから、意識せずとも自然に避ける。それが自然と、現実と虚構の距離を作り出す。

文語と口語、対応するそれらはたとえ同じ概念を表していても、字面から受ける表象的イメージや音の響きから受けるニュアンスの違いがある。『"実際に"人が人と出くわすこと』と『"物語において"人が人に逢着すること』の現象としての違いを表現している。それは時代によって流動性はあるが基本的にきっちりと、概念的同一性を保持しながら現象的相違性を示してくれる。

コミュニケーションツールの最小単位

対面して会話>テレビ電話>電話>手紙、葉書>メール>ショートメール>LINE≫コミュニケーションが必ずしも必要ではないSNSTwitterなど)

重要性、信頼性、心的ハードルの高い順。

 

確実な相互コミュニケーションの最小単位はLINE(たぶん)。他のツールと比べると対応の重要度が高くないと感じられるため、総合的に一番心的ハードルが低い。

しかし長く使われるほどツールとしての必要性が増し、重要性は高まる。ツールの使用比重の変化による責任の移動。

LINEがその重みに耐えきれなくなった時、また最小単位としてのツールが必要とされる。今はニッチなまでに需要が細分化されたSNSが様々な形で存在するから、それらがその役割を担っている。これからもどんどん、そのようなSNSは増え続けるだろう。

メモ

小学生

星の王子さま』。星新一全集。銀色夏生の小説(詩ではなく)。その他図書室で濫読。授業中にこっそり読書して怒られる。


中学生

江國香織井上荒野林真理子。永井するみ。藤堂志津子角田光代長嶋有吉田修一本多孝好など。背伸びではなく"大人の女性"というものに対する窃視的欲望。中学生は、お洒落でセンチメンタルで意味深な文章に抗えない…。『長野まゆみ』。シャーロック・ホームズシリーズ。


高校生

ミステリ・サスペンス(特に叙述ミステリ)。乾くるみ貫井徳郎奥田英朗今邑彩森博嗣法月綸太郎など。幻想・怪奇小説恩田陸小川洋子桜庭一樹夢野久作森見登美彦三浦しをんを一番楽しく読んだ時期。この時期に形成された嗜好は根深い。強烈なエンタテインメント性。映画・漫画やアニメを嗜む習慣があまりなく、得られうる知的快楽を全て小説に求める。


大学生〜現在

幻想小説へ傾倒。皆川博子津原泰水倉橋由美子森茉莉江戸川乱歩。翻訳小説は嫌いだが、ワイルドやボードレール森見登美彦三浦しをんを楽しく読めなくなる。哲学コースに進級。ニーチェウィトゲンシュタイン、カント、ヘーゲルデカルトフッサールプラトンサルトル。科学哲学。映画、漫画、アニメの楽しさを覚える。娯楽の分散へ

インスタポエム

Instagramでポエムを書く人が多い。

語彙力の貧困な人が、何とか上手く自分の感じることを表現しようとするんだけど、いかんせん語彙力が足りない為どうしても抽象的な表現になってしまう。結果、散文詩のような形になってポエミィに響いてるだけである。

多様な意味を込めた上での一つの確固とした抽象的表現ではなく、一つの確固とした具体的表現がままならないために抽象的な表現になっているだけの、ただのアホ文章。画像だけ載せてくれ~~~!!!