gomibako

思想・感情・オタク

防弾少年団と「青春」について

「I NEED U」から始まる、一連のMVの考察をされてる方が沢山いらっしゃいます。(私は特に何も考えずに観てました・・・)

考察された方の意見を色々拝見したのですが、WING~Fake Loveに関しては、制作者側が意図したものをずばり言い当てたのでは?と(個人的に)思われる解釈をされたブログ記事もありました。 

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 なるほど・・・謎もどんどん解き明かされてきて、ラストが近づいているなという感じがします。

(けど人間は、意味深だったり、意味が隠されている方が魅力を感じるアホな生き物らしいじゃないですか・・・!公式からのストーリーの説明は無ければいいな〜と思います。それに、ストーリーの解釈を固定化して、その通りにしか意味を見出せなくなるのもちょっとつまらないしなぁと思います。ストーリーに沿って各々の曲が作られていたとしても、ひとつの曲だけを取り上げて、その曲の限定した世界観で魅力を感じることも良いと思うのです。私は「Euphoria」が現実逃避ソングとしてメチャクチャ好きなので、それを「乗り越えるべき仮象」と固定して捉えられてしまうのはシビアだな〜と思っちゃいますし・・・。ニーチェ云わく、世界はカオスとその解釈でしかないのです。好きなように解釈すれば良いのです!)

 

話を戻して、上に記したブログや、彼らのインタビュー等から受け取れる彼らのポリシー、スタンス通りにストーリーを解釈するならば、防弾少年団は「生活に限りなく肉薄した実存哲学を表現するアイドル」だなぁと感じました。そもそもアイドル自体がそういう機構なのかもしれないですけど。

一連のストーリーに示されるような「理想だけ見て逃避してちゃダメ、しっかり現実と向き合うことが大事!」なんて、一言で言っちゃえば非常にチープなテーマなんですけど、しかし防弾少年団にかかればその暴力的なまでのキラキラビジュアルパワー、圧倒的なダンススキルでのカル群舞、そして何よりそのコンセプトを細やかに表現した緻密な演出で見事に異化作用を施し、私達に新しい「青春」を提示してくれました。

そもそも青春というのは、必然的に一回性を内包していますよね。それも線ではなく、限りなく点に近い一回性。通時的に見れば飽きるほど繰り返されていることでも、共時的に見れば今ここで起きている生々しい現実です。だから人生という概念がそうである以上に、青春という概念に手垢がつくことはないのでしょうね。

ニーチェサルトルキェルケゴールに代表される実存哲学ですが、哲学は書物の中にあるだけではないことを改めて感じさせてくれますね。まぁ実存哲学と言いますが、MVで暗喩される生/死、仮象/現実、過去/未来などの二項対立は、今の趨勢、圧倒的に生や現実が勝ちますからね・・・(そもそもこの二項対立的な価値観というのが、すでに解体されつつあります)。

「Awake」に代表されるように、最近は理想に傷付き現実を知り初める少年の哀しさが描かれています。弁証法的に絶えず今を否定し乗り越え、イニシエーションを経て着実に大人になってゆく彼らを見ると、頼もしくも寂しい気持ちになりますね・・・。「BANANA FISH」でアッシュが、「風と木の詩」でジルベールが死んだことを大肯定するような女なので、私もいい歳ですが永遠の少年性に魅了されたままなのでしょうね・・・。いやでもそれは虚構だからなんです。アッシュもジルベールも虚構だし、(防弾メンバー7人の現実存在じゃなくて)"私が見てる防弾少年団"も虚構だから。彼らが彼らの人生を逞しく、したたかに生きてゆくよりも、いっそここでなんとかして永遠になってくれ・・・って気持ちがちょっとだけ湧いてしまうのも許してください。

「青春時代」って、どんなにしても使い古されない不滅のテーマですよね。そして「LOVE YOURSELF」、このテーマこそ絶対に青春時代に学ぶべきことですよね。自分を愛せないまま大人になっちゃったら悲惨ですもの。その後の人生ずっと青春に取り憑かれたままなのもまた良し、大いに結構と私は思いますけど(そういう人にはまた昏い陰鬱な情念の魅力がある)、そうならずに「いつでも今が花様年華だと言えるようになりたい」というしたたかな姿勢は、非常にパワフルで老獪で、また別の魅力がありますね。

 

ファンが防弾少年団に深みを求める心境は、やっぱり人の数だけそれぞれの「青春」があるから、一般化された意味での「青春」という言葉に汲み尽くせないものを求めて、それを彼らの表現に託すんだろうな〜と思います。ラプモンが「音楽は言葉の上にある」(『上にある』は『上位概念だ』って意味かな?)って言ってましたけど、本当にその通りだと思います。

哲学というのは、様々な歴史的・文化的な時代背景において、思想家達がそれぞれの見方・感じ方で世界を描写した、1つのストーリーです。そういう意味だと、彼らは彼ら自身の哲学を立派に提示していると思うのです。