gomibako

思想・感情・オタク

防弾少年団と「愛」について

 アイドルの表現する「愛」に、とても興味があります。

 

  

 古代から人々が繰り返し問うてきた、「愛って何?」という問い。それに「『愛』と『人が生きる』ということは同じことなのではないか」と、素朴ながら力強く、そして最高に優しい答えを返した彼はすごい。愛を「崇高なもの」と遠ざけなかったあたり、彼らのスタンスから見ても非常に一貫している。

「愛」という広くて深い、未だ汲み尽くせない観念は、古代から現在に至るまで未だ定義し尽くされることがないですよね。これって、「愛」が「真・善・美」に深く関わっていて、同じ類いの性質を持ってるからじゃないかなって思います。人々が希求し、飽くなき情熱を燃やして止まない、けれども全てを知ったり、手に入れたりすることは決して出来ない、遠くて儚くて気紛れな性質(これはカントのアンチノミー『世界』『宇宙』『因果』『神』についてと同じで、人間の認識カテゴリーではカバー出来ない部分なのでは・・・?とも思います)。答えは出ないけど、求め続けるから問いは止まず、答えも止まず、終わりがない。そして、終わりのない歴史が続いてゆく。そういう一種不毛な情熱って、がむしゃらでひたむきで、なんだか胸を衝くような美を感じるんですよね・・・。そういうただでさえ儚くて曖昧な「愛」の現れる場面に、更に「青春」なんかを上乗せしちゃったら、そりゃー二重に魅惑的になっちゃいますよね・・・。そして彼らが青春を終えた後、そこで享受する愛だって美しいでしょうけど、「青春」という二重条件が外れる以前と比べてしまうでしょうね。青春の唯一性ほど尊ばれるものも、中々ないですから・・・。

 

それと、クオリアの問題もあるんじゃないかなって思います。彼らが今感じている、隣にいる仲間の体温、髪の輝き、海風の湿っぽさ、太陽の眩しさ、青い空・・・そういう具体的な感覚の共有は絶対的に断絶されているから人間は孤独だし、死ぬまで救いようもなく一人です。でも、一緒に住んで、歌って、踊って、常に隣にいる仲間と同じものを見ている・感じているという「思い込み」、言い換えれば「信じる」という行為、これもまたファンを惹きつける彼らの仲間愛なんだと思います。SNSでリアルタイムで現場の写真をあげてくれたり、配信ライブをしたりして、ARMY今何してるの?元気?○○見てくれた?愛してるよ、そういう風にファンを身近に設定する問いかけをしてくれるのも、彼らの「共有しようとする意識」の表れですよね。

ちなみに、古代ギリシアにおいては「愛」に相当する言葉はひとつではありませんでした。求める愛「エロス」、友愛「フィリア」、家族愛「ストルゲー」、与える愛「アガペー」。

防弾少年団の中だけで、この4種の愛が全て存在している(であろう)ことに驚きます。彼らはひとつの"愛の軍団"・・・(娘。)

彼らから神話的な性質を感じるのも頷けちゃう気がします。古代ギリシアにおいて、人間と神との距離は今ほど遠くありませんでした。むしろギリシアの神々のお話は、非常に人間くさい。「血汗涙」のMVを観ていると、それを感じるようです。